「若きサムライのために」

昭和のサムライと言えば 三島由紀夫氏 を思い出します

生前、彼が若者へメッセージを残した本があります

「若きサムライのために」(日本文教社) です

このページではこの本の内容に触れたいと思います


政治について

     政治は二種類に分けられた。すなわち、温和な実際的
     な目的に従って、
市民生活の秩序を維持し、人々の信
     頼を受けて、その信頼を安泰に守ってゆくことこそ、政
     治家の職分であるはずであり、またその欠点をゆるや
     かに是正し、人の意見を取り入れて、その社会をなごや
     かに更新してゆくことが、政治家の任務であるはずであ
     った。そしてもう一つの政治行為とは、すなわち革命で
     あり、社会の矛盾が振りまくさまざまな問題を、激烈な
     方法をもって一挙に転換し、その変革のかなたに理想
     社会を夢見るけれども、その変革の情熱自体は、やむ
     にやまれない生活の緊迫、貧窮、おそろしい社会矛盾
     などの現実の存在を前提とするものであった。 

     しかるに、いまでは政治行為のこの二つの種別は、お
     互いがお互いをおとしめるようなものになってしまった。
     実際的に秩序を維持する政治家像は、
何の魅力も無い
     灰色のエスタブリッシュメント
の象徴になってしまった。

 


勇者とは

     ある時、イギリス人の貴婦人の前で、日本刀の話が出
     て、
「日本刀はどうやって使うのか」と聞かれたので、私
     は彼女の前で、手で刀を抜いて振りかぶって、けさがけ
     に切る形をして見せたところが、この瞬間に彼女は血の
     気を失って倒れそうになった。私は文学よりも日本刀の
     ほうがいかに西洋人を畏服させるかを知った。
     われわれにとって、”サムライ”はわれわれの父祖の姿
     であるが、西洋人にとっては、いわゆるノーブル・サブェ
     ッジ(高貴なる野蛮人)のイメージでもあろう。われわれ
     はもっと
野蛮人であることを誇りにすべきである。

     さて、”サムライ”といえば、われわれはすぐ勇気という
     ことを考える。勇気とはなんであろうか。また勇者とは
     何であろうか。
     この間の金嬉老事件で私がもっともびっくりぎょうてん
     したのは、金嬉老及びそのまわりに引き起こされた世
     間のパニックではなかった。それは金嬉老の
人質の中
     の数人の二十代初期の青年たち
のことであった。彼ら
     はまぎれもない日本人であり、二十何歳の血気盛んな
     年頃であり、西洋人から見ればまさに”サムライ”であ
     るべきはずが、ついに四日間にわたって、金嬉老がふ
     ろに入っていても手出しひとつできなかった。

     われわれは、かすり傷も負いたくないという時代に生き
     ているので、そのかすり傷も負いたくないという時代と
     世論を逆用した金嬉老は、実にあっぱれな役者であっ
     た。そしてこちら側には、かすり傷も負いたくない日本
     青年が、四人の代表をそこに送り出していたのである。

     泰平無事が続くと、われわれはすぐ戦乱の思い出を忘
     れてしまい、非常事態のときに男がどうあるべきかとい
     うことを忘れてしまう。

     危機に備えるのが、男であって、女の平和を脅かす危
     機が来るときに、必要なのは男の力であるが、今の女
     性は自分の力で自分の平和を守れるという自信を持っ
     てしまった。それは、一つには、男が頼りにならないとい
     うことを、彼女たちがよく見極めたためでもあり、彼女た
     ちが
勇者というものに一人も会わなくなったためでもあ
     ろう。

     男性が平和に生存理由を見出すときには、男のやるこ
     とよりも女のやることを手伝わなければならない。危機
     というものが、男性に与えられた一つの観念的役割で
     あるならば、男の生活、男の肉体は、それに向かって絶
     えず振り絞られた弓のように
緊張していなければならな
     い。
私は街に緊張を欠いた目をあまりにも多く見過ぎる
     ような気がする。

 


作法とは

     剣道は礼に始まり礼に終わると言われているが、礼をし
     たあとでやることは、相手の頭をぶったたくことである。男
     の世界をこれはよく象徴している。戦闘のためには作法
     がなければならず、作法は実は戦闘の前提である。しか
     もどちらが大事かということになると、剣道は建前上、作
     法・礼法をもっとも重んじている。

     男の作法は、ただ相手に従い、相手の意のままになるこ
     とが目的ではない。しかし作法こそどうしてもくぐらなけれ
     ばならない第一前提であるにもかかわらず、現代におい
     ては
人間の正直な、むき出しの姿がそのまま相手の心に
     通用するという不思議な迷信がはびこっている。

     最近の電話の掛け方のひどさには、いつも驚く他はない
     が、小さな言葉の使い方一つにでも、相手の気持ちを察
     することの
デリカシーのなさは日本中に蔓延している。

     


信義について

      このごろの青年の時間のルーズなことには驚くのほか
      はない。また
約束を破ることの頻繁なことにもあきれる
      のほかはない。大体時間や約束というものは、それ自体
      ではたいした意味のないものである。たとえば、三時に
      会う約束が、三時半になっても、それで日本がひっくり
      返るわけではない。また、金曜日の五時に会う約束を
      忘れてしまっても、それで日本の株式相場がいちどきに
      下がるわけでもない。学生時代には自分が社会の歯車
      の一ケになっているという意識がないから、かなり自分
      が大切だと思っている約束でも、それが社会を動かすよ
      うなモティーフにはならないからである。

      こういう人間に限って、会社に勤めたり、いっぱしの社
      会人になると、自分の会社における役割というものの重
      さに次第にめざめ、と同時にそれを自分で過大評価して
      喜ぶようになる。こうして窓口の役人タイプや、つまらな
      い末端の仕事にいながら、やたらに人にいばりちらす人
      間があらわれる。そして、学生時代に約束や時間を守ら
      なかった人間ほど、かえって社会の歯車である自分に
      満足してしまう人間ができあがりがちなのである。

 


羞恥心について

     普通、羞恥心は女の特性と言われている。いまではそれも
     遠い昔の伝説になってしまったが、ビーナスでさえ乳をか
     くしたポーズで立っているように、女性の美徳は、いつも羞
     恥心によって、涵養され、羞恥心を通してその魅力が流れ
     出ると考えられていた。

     ところが、閑却されていたのは、男性の羞恥心である。日本
     の男性ほど羞恥心に満ちた男はなかった。なかったというと
     誇張になるので、私の見るところでは、世間で羞恥心の最
     も発達した男は、イギリス人と日本人が双璧であると思う。

     日本では、戦後女性の羞恥心が失われた以上に、男性の
     羞恥心が失われたこを痛感する。ただ、世間の風潮を慨嘆
     するだけではない。私自身が知らず知らずの間に時代の
     影響をこうむって、男の羞恥心を失いつつあるのである。

     このような、男性の羞恥心は、あくまでも男らしさとつなが
     っていた。
男と女がそれぞれの領域をきちんと守り、心が
     どんなにひかれていても、それをまっすぐあらわさないとい
     うことが、恋愛の不可欠の要素であった。男女関係自体が
     新しいアメリカ風の、お互いに愛を最大限に表現する形に
     よって、わざとららしい公明正大さを得てきた。そして女の
     羞恥心すら、男女同権を破壊するような封建的遺習と考え
     られ、その女の羞恥心が薄れるに従って、男の羞恥心も
     ガラスの表にはきかけた息のように、たちまち消え去って
     ゆき、そしていつの間にか、かくも露骨に表現し合った男
     と女は、お互いの大切な性的表象を失って、いま言われ
     るような
中性化の時代がきたのである。

 

引用参考文献 若きサムライのために(三島由紀夫 1969年 日本教文社)

      




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