知覧特別攻撃隊

鹿児島県薩摩半島の「知覧」に陸軍の特攻基地がありました。

現在、基地跡地には「知覧特攻平和会館」が建立されています。

ここには、勇士たちの遺書・日記・遺詠などが納められています。

当ページでは、それらの中の一部を紹介したいと思います。

今日の日本の平和と繁栄も、これらの勇士達の犠牲の上にあることを

忘れてはいけないと思います。

引用参考文献 知覧特別攻撃隊(村永薫編 1989 ジャプランブックス)

     

遺詠


枝 幹二 (大尉 昭和20年6月6日出撃戦死 富山県 22歳)

あんまり緑が美しい
今日これから死にいくことすら忘れてしまいそうだ。
真青な空
ぽかんと浮かぶ白い雲
6月の知覧は
もうセミの声がして
夏を思わせる。(作戦指令を待っている間に)

小鳥の声がたのしそう
「俺もこんどは小鳥になるよ」
日のあたる草の上にねころんで
杉本がこんなことを云っている
笑わせるな
本日13時35分
いよいよ知覧を離陸する
なつかしの祖国よ
さらば
使いなれた
万年筆を”かたみ”に
送ります。

 


上原良司(大尉 昭和20年5月11日出撃戦死 長野県 22歳)

人の世は別れるものと知りながら
別れはなどてかくも悲しき(出撃直前の走り書き。手紙に)


小林敏男(大尉 昭和20年4月6日出撃戦死 茨城県 23歳)

死出の旅

古郷の梅をながめてさまよひぬ
これもついに最後となりぬ
死出の旅と知りても母は笑顔にて
送りてくれぬ我くに去る日
広き広きホームに立ちて見送るは
母と妹と共二人のみ
捧げたる生命にあれど尚しかも
惜しみてついに究め得ざりき
我が生命捧ぐるは易し然れども
国救ひ得ざればああ如何にせん


 

遺書


大橋春男(少尉 昭和20年4月1日出撃戦死 岐阜県 26歳)

母上様
お達者でお暮らしの御事と存じ上げます。
二十八年間は夢のようでした。この二十八年間の母上様の御苦心、御辛抱、肝に銘じて居
ります。されば今日の日を勇んで征きます。
綾子の事に付いては、父上様と共に大変お世話になり、今日まで無事人並に立って来まし
た。これも皆父上様、母上様の御力の賜と深く厚く御礼申し上げます。
綾子の事に関しては母上様今後とも一層御面倒を見てやって下さい。あれも正式なる式も
挙げ得ず、常に二人で一度でよいから帰郷したいと申して居りましたが、
それは出来ませんでした。
それ故隣り近所の方々とは未だ親しくいたして居らず、突然一人ボッチでは随分苦労する
と思います。
女は女と、綾子の事は、母上様くれぐれもお頼み申し上げ、最後に母上様の御健康をお祈
りいたして失礼いたします。
母上様        治男(巻紙にペンで走り書き)


中村憲二(大尉 昭和20年5月18日出撃戦死 23歳)

我れ南十字星の下大海原を越え空の決戦場へ征かんとす。
母上様
憲二生まれて今日まで一度として母上様に満足なことをなさず御苦労を御掛け致し申し訳
なく存じます。
母上様憲二は大命により征かんとして居ります。門の外まで憲二の門出を喜び御見送り下
さる母上様の顔が見えます。憲二はどうして死ぬことなど恐れましょう。
桜の花の散る校庭にに学び育ちました憲二です。
兄上姉上様には父なき後、常に範を示し御指導下され心より御礼致します。
千鶴子、俺の分まで母上様に孝行してくれ。兄が死した聞かば、立派にお国の為に大空に
華と散りましたと父上様に御報告してくれ。
俺の前には若鷲の香りする香をたいてくれ。
11月8日        憲二(巻紙に墨書)


相花信夫(少尉 昭和20年5月4日出撃戦死 18歳)

母を慕いて
母上様御元気ですか
永い間本当に有難うございました
我六歳の時より育て下されし母
継母とは言え世の此の種の母にある如き
不祥事は一度たりとてなく
慈しみ育て下されし母
有難い母 尊い母
俺は幸福であった

ついに最後迄「お母さん」と呼ばざりし俺
幾度か思い切って呼ばんとしたが
何と意志薄弱な俺だったろう
母上お許し下さい
さぞ淋しかったでしょう
今こそ大声で呼ばして頂きます
お母さん お母さん お母さんと(ノート二頁に楷書ペン書)


伍井芳夫(中佐 昭和20年4月1日出撃戦死 埼玉県 32歳)

人生の総決算
何も謂うことなし
伍井大尉 印(一枚の紙に墨書)


前田啓(大尉 昭和20年4月3日出撃戦死 北海道 23歳)

俺が死んだら
何人泣くべ
北海道 前田 (花押)


上成義徳(少尉 昭和20年4月22日出撃戦死 鹿児島県 25歳)

特攻の首途に 上成曹長

大君のみたてとなりて吾征かん
南西に散るこころうれしや
国家之危急
親をもかへり見ず
吾亦征かん南西の海(美濃紙に草書で墨書)

君がため雄々しく散らん桜花(便箋に楷書墨字)


長沢徳治(大尉 昭和20年4月28日出撃戦死 石川県 24歳)

召され来て空の護りに花と散る
今日の佳き日に逢ふぞうれしき(美濃紙に三行書き・墨書)

来る年も咲きて匂へよ桜花
われなきあとも大和島根に(色紙に五行書き・墨書)

 


浅川又之(大尉 昭和20年4月6日出撃戦死 長野県 23歳)

母様、兄よ姉よ、外皆々様
御元気で「必勝」目ざしてまん進せられ度し。
長い間御世話になりました。
笑って征きます。
天皇陛下万歳 又之(巻紙に墨で走り書き)

 


戦死された方々の御冥福を祈り。

同じ過ちを二度と繰り返さないことを誓います。

 




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