日本人は何をなくしたのか

 

   安永四年(一七七五)、長崎の出島へきたツンベルクによれば、

   日本人は「気が利いていると同時に賢明であり、従順であると

   同時に正義を愛し、またある程度までは自由を主張する。

   活動的で質素で、誠実で、且つ勇気に富んでいる」とある。

   こうした日本人に対する称賛の声は、明治になると益々大きく

   なっていった。ところが、最近はどうであろう。

   諸外国からきこえてくるのは、薄情で傍若無人、金があれば

   何をしてもよいと信じ込んでいる、手前勝手な日本人への嫌悪

   に満ちた非難の声ばかり。

   いわく、日本人には道徳がない、本物の宗教がない、正義の

   主張がないーーーないないずくしだという。

   たしかに、日本人は、経済的繁栄の過程で、いつしか慢心し、

   冷淡で己さえよければよい、といった小ずるい民族になってし

   まったようだ。

   「日本人は顔が悪くなった」知人のアメリカ人はいっていた。

   金満家になった日本人は、いつしか人間らしい心の美学を失

   ってしまったのかもしれない。

   日本人は最も大切なものを失ってしまったのではあるまいか。

   それを「武士道」と見た。「良心」「痩せ我慢」「自律の心」など

   と言い換えてもよい。

   物質的裕福ではなく、心の美しさを貫こうとしたこの風潮こそ

   日本人が唯一、徳川時代二百有余年をかけて独力で創りあげ、

   培った芳醇な香りーーー心の拠り所で、大きな民族の遺産で

   はなかったであろうか。

   そして、この思潮をきわめて色濃く、全身に浴びた人物こそが

   「西郷隆盛」であったに違いない。

     西郷隆盛ヤ話せる男 国のためなら死ねると言うた

   西郷は巨漢で豪放にもかかわらず、可憐であった。否、

   明治維新の頃には多くの日本人が等しく持っていた、誇り、

   潔癖さ、矜持(きょうじ)であったのかも知れない。

   これらを、戦後の日本人は失してしまった。

   あらゆることに利己主義となり、相手を出し抜くことことばかり

   を意図し、譲る=謙譲の美徳などの言葉すら忘れてしまった

   ようだ。信義も節操も、誠実さえも放逐し、ひたすら、豊かな財

   布と、貧しい根性を抱いたまま、なんとなく忙しげに、その割に

   は充たされるものもなく、先行き不安な苛立つ日々を過ごして

   いる。

   それでも、今まではまだしもであった。だが、東欧における大変

   革、EC諸国の統合化、統一ドイツ誕生と、世界が大きく転換期

   を迎えている現在なまじ幸運にも繁栄を続けてきた日本は、今

   まさに、国際的孤児となりつつある。

   どうすれば、日本は世界の中で、独自の尊厳を保ちながら、共

   存共栄をはかれるのであろうか。それには、価値観、信念、理

   想、志、規律などのすべてを、まずは「西郷隆盛」に学ぶべきで

   ある。西郷を身近に感じた頃の、日本人の心に学ぶべきである。

 

   日本を訪れた外人たちの言葉を元に、当時の日本人の心を見

   つめてみたい。

   
○来日した途端に、欧州の中古時代に似た日本の風物にまず

    驚きの目をみはり、次には完全に魅了された。そして喪心か

    ら日本に愛着を感じた。

    (フランシス=ブルックリン)

   
○古き日本の文明は、道徳面においては、西洋文明に物質面

    で遅れとっていたその分だけ、西洋文明より進んでいたのだ。

    (ラフカディオ=ハーン)

   
○私が決して滅ぼさせることのないようにとねがう一つの民族

    が有る。それは日本民族だ。あれほど太古からの文明をもっ

    ている民族は他に知らない。この最近の驚くべき発展も私に

    は少しも不思議ではない。彼らは貧乏だが、高貴だ。

    (ポール=クロデール)

 

       引用参考文献 日本人は何を失したのか(加来耕三 1990年 講談社)

      




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