21世紀への提言

 最近、世間を騒がせている官僚や政治家の汚職事件は、いずれも社会倫理や道徳と

いったものより、自らの利益を優先に考えた行動から発生したのは間違いない。本来、

国家、国民の利益を最優先とすべきであるはずの、大蔵省、厚生省の官僚や政治家が、

自分たちの保身や、利益を優先させた結果であることは否定できない。

 幕末から明治のころの日本人の評価と言えば「高貴な野蛮人」とか「恥を重んじる国民

性」、切腹にみられる「責任感の強さ」等で、どちらかと言えば肯定的に評価されていた。

これらの評価が得られたのは「武士道」として江戸時代に熟成された精神文化が、武士階

級に留まらず、広く日本人の基本的アイデンティティとして浸透していた為と思われる。

 この基本的精神文化は、新渡戸稲造の著作「武士道」によると義・勇・仁・礼・誠・名

誉・忠義等からなりそれぞれ次のような意味合いをもっている。

 義 ・・・正義の道理
 勇 ・・・平静さに裏打ちされた勇気
 仁 ・・・他者へのあわれみの心
 礼 ・・・他人に対する思いやりを表現すること
 誠 ・・・実益のある徳行
 名誉・・・最高の善
 忠義・・・個人よりも国を重んじる

 これらは、良くも、悪くも、我々日本人の無意識の中に深く根付いて、社会倫理や道徳

の基本となってきた。

 しかし、戦後、アメリカによって与えられた民主主義により、日本的なものは、ことご

とく否定され、行き過ぎた個人主義が蔓延して来たと同時に、「武士道」的な精神文

化は、徐々に解体されてしまった。更には、バブル経済の到来により、一般主婦までが投

資に奔走した例のごとく、国民の全てが商人化し、拝金主義に陥り、その状況は益々酷く

なったように思われる。また戦後築かれた「日本的民主主義」は、本来の「民主主義」の

本質を理解する機会が無いままに肥大してしまい、「履き違えた自由」を思う存分享受す

るばかりで、自由に伴うはずの「責任」は、なおざりにされたままである。 今回露呈し

た様々な問題は、これらの膿が噴き出したからに他ならない。

 現在、日本社会は、あらゆる面で行き詰まっている。製造業における拡大成長も、市場

に限界があり、今までのように 生産拡大→売り上げ拡大→投資拡大→生産拡大といった

サイクルを維持するには、難しくなっている。コスト競争から海外工場へシフトしても、

これが更に競争を激化させるばかりで、根本的な解決には至らないのが現実である。

 そういう意味では、これからの日本の進むべき道は自ずと見えてくるのではないだろう

か。これからの日本は目先の経済発展を追いかけるのでなく、21世紀にむけての新たな

長期ビジョンが必要となってくる。

 たとえば、ソーラーシステム等のクリーンエネルギーの実用化、原子力兵器を無力化す

る放射能除去装置の開発、安全でクリーンな食品生産プラントの開発等々が考えられる。

当然のことながら、これらを推進するに当たっては、国家の強力なバックアップが必要と

なる。

 国家がこれらの長期ビジョンを推進するには、前述のような「武士道」的精神を基本に

した愛国心ある政治家が必要である。国家や愛国心を語ると、すぐ「右翼」と結びつける

人がいるが、そんな狭い愛国心でなく、国家のアイデンティティを追求する寛い意味での

愛国心が必要である。確かに太平洋戦争を起こした先輩達の狭い愛国心は非難される

べきことではあるが、我々が国を愛することを後ろめたく思う必要はなく、自分の国家を愛

せずして、世界平和を語ることこそ、ナンセンスである。

 幕末に活躍した志士たちは、人間として一番克服しにくい、「命」をもかけて、日本の

将来を見つめて、国家のアイデンティティを追求した。

 今こそ、坂本龍馬の「フレキシブルな感性」が、勝海舟の「国際感覚」が、西郷隆盛の

「無欲さ」が、高杉晋作の「奇抜なアイデア」が必要であり、これらをもって日本のアイデン

ティティを追求すべきである。

 私もこれらの精神を受け継ぎ、平成の志士と成るべく日々努力したい。

 




100MB無料ホームページ可愛いサーバロリポップClick Here!